カジノで遊んで一夜にして億万長者…全ギャンブラーの夢ですね ラッキーカジノ。最近ではオンラインカジノも充実しているので、自宅でもどこからでも、ネット環境さえあればプレイできます。(オンラインカジノについて詳しく:allcasinos.jp
アーチー・カラス
アーチー・カラスは1992年、わずか50ドルだけ握りしめラスベガスにやってきました。ロサンゼルスの巨額ポーカー・ゲームでこてんぱんに負け、2百万ドル(2億2千万円)という大金を失ったばかりだったのです。しかしカラスは、クラップスにはまり、勝ち続け、その雀の涙ほどの元手を4000万ドルにしたのです。このことにより、「伝説のギャンブラー」として知られています。今ではラスベガスのブラックリストにも載っています。
柏木昭男
柏木昭男は、世界中のギャンブラーにその名を知られる伝説の日本人ギャンブラーです。1970年から1980年代ラスベガスでは大変な有名人でした。山梨県の出身で、元々は道案内の仕事などをしていた、と言われています。その後、不動産業に転向し、金融業を始め、当時空前の好景気だったこともあり、大成功し富豪となります。その後カジノで遊ぶようになったのですが、ここでも才能を発揮。主にバカラをプレイし、勝ち続けたのです。最高ベットの約2400万円を1ゲームで賭け、17連勝したことも。しまいには「ウォーリア(戦士)」というあだ名で呼ばれるようになりました。柏木は不幸にも、最後には1992年に日本の自宅で殺害されてしまいました。
ケリー・パッカー
ケリーフランシスブルモアパッカーACは、『オーストラリアのメディア界の大物であり、20世紀のオーストラリアで最も強力なメディア所有者の1人と見なされていました(引用:ウィキペディア(英語))』。つまり元々大富豪だったのですね。パッカーは、法外な金額のベッドをすることで知られたギャンブラーでした。ロンドンで2800万豪ドル(約25億円)負けたり、負け額も桁違いですが、一方で、アメリカで3300万豪ドル(約30億円)を勝つ等、確実に勝ちを重ねていた天才ギャンブラーです。40年以上もカジノで遊び続け、ウェイトレスに対するチップだけでも、日本円で2億円以上に上ると言われています。余談ですが、ラグビーやクリケットなど、スポーツにも勤しみ、特にクリケットの世界では今でも影響を与えているようです。